湘南GUILTY's COCKTAIL

ワルモノバイク ”GUILTY” のカスタムやツーリング、グルメ記事などのオヤGブログです。

6月2日:織田鉄砲隊!長篠の合戦場跡地

朝から土砂降りですが、この日の予定は

浜松 を発ち、叔父叔母のお墓参り、人力家のお墓参り、そしてその近くの、




長篠古戦場跡地 を訪ね、名古屋で 『 登山 』に挑戦したり名物を食べたりして、 岐阜羽島 に向かいます。

しかし・・・昔からインパクトの強い看板よのぅ!


ホンキで観光客を呼び込もうとしているのか疑問 を感じたりもしますが、行ってみます。



えっと、 長篠の合戦 って・・・?  と 忘却の貴兄 に・・・

学校では 織田 信長 が戦国の世の合戦に初めて 組織化された3000丁の鉄砲隊の三段構え により、

当時 無敵 と言われた武田騎馬隊武田勝頼の軍)を撃破した、と中学時代に習った戦(いくさ)ですね。

(現代の調査/解釈では諸説ありだそうですが。)




昔から、叔父叔母のうちに行く度にここを通り、「 長篠 」の地名を見ていましたが、 合戦場 がらみとして

長篠城 には立ち寄ったことがなかったのです。



まず、駐車場で出迎えてくれる 長篠古戦場 を中心とした近隣の案内図。




城址 以外には、 蓬莱山豊川家康 が布陣した 茶臼山 などがあります。

でも この悪天候 のため、史跡めぐりはこの 城址 だけにして名古屋に向かうことにせざるを得ません。




さて、
長篠城址にある資料館




普通ならためらいなく入館しますが、



この土砂降りのため全身、雨仕様の超・重装備!

合羽などの雨具を全て脱ぎ、通常の姿になってから入館して、館内見学後にまた全装着する手間を考えると

「心、折れよう!」とパスしちゃいました~




資料館 をスルーして、デジカメにバンダナをかぶせて雨をしのぎつつ





資料館の奥にある 城址 に向かいます。







城址 自体は更地で、端々にいくつかの石碑、そしてかつての建造物の位置には が並んでいます。




晴れていればさぞや気持ちの良いところでしょうが悪天候 だけに

杭(悔い)が残ります~! \(^□^;)/



   ・・・ってアホかいっ!(自爆!)




現地の表示。



『縄張』って・・・。 元々はこういうことなのか!?




で、古戦場全体の俯瞰(ふかん)図(布陣配置図) を見て 四百数十年前に思いを馳せる ・・・


このあたり数km一帯が、戦場となったのか!


よく見ると、


  


織田 信長 だけでなく、羽柴 秀吉『猿』 時代の 豊臣 秀吉 )の名や、



徳川家康の名まで~!

この相手方として、武田勝頼信玄公 の後継者)や 武田四天王 などの諸将が参戦した訳で、

想像以上に大規模な「いくさ」じゃないか~!


しかも、
参戦した武将は、関ヶ原よりも蒼々たる面々では?
(まあ、これは見方によりますので、個人的な感動ということで。)



織田羽柴徳川武田 の各陣の配置はこんな感じ。




青:織田黄:羽柴緑:徳川橙:武田赤:現在地 です。

戦の最前線は 帯状に赤っぽく着色したゾーン (わかりやすいっしょ?)


でも、この布陣だと、

鉄砲隊で武田軍を撃破したの(実行部隊)は
     もしかして、徳川軍だったりしないか?



さらにカミングアウトすると・・・

元々 長篠の合戦 を、織田鉄砲隊が武田騎馬隊を撃破したご当地大名同士のローカル戦

表面的に浅はかな理解だけで憶えていた人力め 、ここへ来てまた おのが人生の不勉強 に出くわして

しまいました。(自沈!)


ですがここは、
思いのほか大物に接した行幸に喜びつつ

これだけ大規模な戦なら資料館にも相当の資料があり、入館してもよかった、いや、すべきだった

のかもしれませんが、望外の興奮の為その考えにも至らず、名古屋へと向かった 人力めなのでした。

大マヌケ自爆!



ちなみに、このあと付近を通った 茶臼山 (家康陣地跡)は、山自体が周辺の山々と群れを成しており、

シロートの目視やナビでは識別できませんでした。(自沈!)

 ・・・しかも猛烈な霧の中で各山の山頂は見えず・・・またいつか狙うことにしましょう。



さあ、この後は名古屋で別の『山』に登らねば!