6月3日: 関ヶ原古戦場(初日-午後3)
まるで「生き急いでいる」かのような |
濃い~い記事の更新ぶりですけろ! |
そういうワケではなく、明日から結婚記念日で2泊ほど不在の為、記事更新がでけまへん。
そういったようなワケで、 | ヤリ貯め | カキ(書き)貯め(これもエ○いか!?)しておこうという次第♪ |
次に向かったのは東軍(家康軍)の、
家康の四男:忠吉 と、その後見人となっていた、家康の腹心:井伊直政 の陣地跡。
先鋒 と定められていた 福島正則隊 の横をすり抜け、家康 から跡継ぎと認めてもらおうと功を焦って
開戦の火蓋を切ってしまう という 抜け駆けのイワク を残した 忠吉・直政隊 の陣地跡です。
ちなみにココは、討ち取った武将の首を荒い、また首実検のあと、その首をまとめて葬った 東首塚 と隣接でした。
(さすがに 首塚 や 首洗いの井戸(スダレをかけただけの封がしてあるのみ)を写す気にはなれず、
首塚 関連の写真はありません。)
さて、少し日も西に傾きかけてきましたが、せっかくですからココはバイクのフットワークを活かして精力的に
ポイントを回りましょう!
田んぼの広がる平原の中にポツリと見える 陣地跡 ?
実はココ、 陣地跡 ではないのです。
幟(ノボリ)を見て、家紋を知っている人は 「 おや!?」 と思うかも。
・・・これが並んで立ってるって・・・そんなことがあるのか!?
はい。 実はココ、
敗走する際、その時間を稼ぐ為、石田家の家老だった 島 左近 と 蒲生郷舎 が 壮絶な討ち死に
を遂げたとされる場所ということになります。
周りはかなり開けただだっ広いところだとお伝えする為の 人力撮り 。
そして、
左奥に見えるのがどうやら石田陣地跡。
さっそく 人力車 で向かいます。
少し離れたところからだと、 笹尾山 って、あまり高くはない山のようです。